時代映す博覧会の歩み 日本初の京都博から昭和前期まで110点展示
大阪・関西万博の開催を記念して、尼崎市立歴史博物館(同市南城内)で、日本の博覧会の歩みを紹介する企画展「にっぽん博覧会ものがたり 前期・近代編」が開かれている。同博物館でしか見ることのできない貴重な資料も展示している。6月22日まで。無料。
対象は1871(明治4)年に京都・西本願寺であった日本初の京都博覧会から、1941(昭和16)年に兵庫県西宮市で開催された国防科学大博覧会まで。パンフレットやポスター、写真など同博物館所蔵の資料約110点で、時代を象徴する博覧会の歴史をたどる。
博覧会は、日本の産業発展に深く結びついてきた。産業都市・尼崎市の博物館として、収集してきた博覧会に関する資料は約4700点に及ぶという。1877(明治10)年に東京・上野公園で開催された第1回内国勧業博覧会で、パビリオンとして日本初の美術館が建設されたが、その写真が残されているのは、同博物館だけという。
明治初期、主要な出品物は書画や骨董(こっとう)品などで、政府が初めて主催した72(明治5)年の博覧会は「目玉」が名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)だった。77年に始まった内国勧業博覧会では産業振興策として、各地から展示品を集めた。第3回(90年)では上野公園の会場内に電車を走らせ、京都で開かれた第4回(95年)は、付属施設として神戸市の和田岬に「水族放養場」を開設。これを充実させて97年にできた「和田岬水族館」が日本初の本格的な水族館と言われている。
アイヌや台湾の人々を会場内に住まわせて見せ物にするという差別的な展示もあった。
大正期では大衆化が進む。1914(大正3)年の東京大正博覧会ではケーブルカーやエスカレーターなど新しい技術が人気を集め、22(同11)年の平和記念東京博覧会では入場者数が1千万人を超えた。
昭和になると、天皇の即位を祝う博覧会が各地で開催された。37(昭和12)年の日中戦争開戦以降、タイトルには「聖戦」「国防」などの言葉が目立ち、軍部が後援するなど戦争一色に。戦争を宣伝するイベントに変わっていった。
40(同15)年に東京と横浜で予定されていた日本万国博覧会は38(同13)年に中止が決定され、幻となった。前売り回数入場券は販売されていて、この企画展でも展示されている。
同博物館の桃谷和則学芸員は「博覧会は時代を反映している。その時代が博覧会に何を求めていたのかに注目してほしい」と話している。
企画展は午前9時~午後5時。月曜休館。70(昭和45)年に開催された大阪万博を含めた「後期・現代編」は7月19日から、尼信会館(尼崎市東桜木町)で。
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兵庫:朝日新聞デジタル 2025-05-09 [
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