市街地に山積みの遺体 20歳が見た大空襲、40年後の絵日記を展示
80年前の8月1日夜、米軍機による爆撃で1488人が亡くなった新潟県長岡市の長岡空襲と、同じ夜に富山市で2700人超の犠牲者を出した富山大空襲。それぞれの体験を伝える展示が、長岡戦災資料館(長岡市城内町2丁目)で開かれている。富山市の女性が終戦41年後に記憶をたどって描いた絵日記25枚が初めて一堂に展示された。
戦後80年事業として資料館が企画。赤く燃えさかる長岡の街を描いた絵画など、長岡空襲の体験者による作品が並ぶ会場に、富山市の絵日記が追加される形で17日に始まった。
富山大空襲は、長岡空襲があった直後の1945年8月2日午前0時36分に富山市中心部で始まった。米軍のB29による爆撃で、市街地が焦土と化した。
絵日記は当時20歳で富山市に住み大空襲を経験した故・若林ウタさんが1986年からパステルクレヨンで描き始めたもの。空襲で夫を亡くした姉が病死したため、姉の子どもたちに空襲体験を伝えていかなければならないと考えたのがきっかけだったという。
空襲直後、身重だった姉に代わって姉の夫を探し回った時に見た、黒こげの死体が山積みになっている光景。上半身が焼けただれ、「殺してくれ」と叫んでいる被災者。戦火が激しくなる前に疎開する人たちの様子。生前の若林さんは「言葉だけでは説明しつくせないもどかしさから絵を描いた」と語ったと記録されている。
富山市に空襲関連資料を常設展示する場所がないため、絵日記25枚が一堂に展示されたことはなかった。後世に体験を伝えようと活動している「富山大空襲を語り継ぐ会」代表幹事の高安昌敏さん(77)は「長岡のように空襲の資料を集め、見て感じてもらえるような資料館を富山でも造りたい」と話す。同会などでつくる実行委員会は7月に富山市で長岡空襲の資料展を開くなど、今後も長岡市と交流を深め、空襲体験の継承を模索していくという。
展示は25日まで。入場無料。
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展示が行われている長岡戦災資料館には17日、富山市で3代にわたって語り部を務める西田亜希代さん(55)と娘の七虹(ななこ)さん(17)も訪れた。
亜希代さんの父、佐藤進さん(90)は戦後、語り部として富山大空襲の経験を伝えてきた。しかしここ数年体調を崩し、2年ほど前から代わって亜希代さんが語り部に。七虹さんも「おじいちゃんの話をよく聞いていたので、私もやると母に言った。ためらうことはなかった」。児童クラブで子どもたちに祖父の体験を話すなどしてきた。
亜希代さんが長岡戦災資料館を訪れるのは8回目。最初は2023年7月、「語り部がいなくなっていく危機感から引き継いだが、やり方も分からない」と悩んでいた時、父に誘われた。
長岡には空襲に関する資料がそろい、体験者の思いを紙芝居にして伝えようとする若い世代もいる。後世に伝えていくために協力し合いたいと、交流を続けてきた。
6月29日、新潟県長岡市で開かれる「長岡空襲殉難者追慕の集い」に、亜希代さんと七虹さんも参加し、富山大空襲の伝承活動について話す予定だ。
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富山:朝日新聞デジタル 2025-05-23 [
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