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埼玉新聞「埼玉歌壇」の選者大西民子さん、故郷の岩手・盛岡で碑前祭 深谷の郷土史家が参加、戦後短歌を代表する歌人しのぶ

 戦後短歌を代表する歌人の一人で、埼玉県の旧大宮市に長く暮らし、69歳で亡くなった大西民子さんを顕彰する碑前祭が10日、故郷の盛岡市で開かれた。16回目となる碑前祭に、大西さんを「心の師」として作歌に励んでいる深谷市の郷土史家、荻野勝正さん(75)が初めて参加した。荻野さんは、埼玉新聞「埼玉歌壇」の選者だった大西さんに、投稿した短歌が選ばれ「評」付きで同歌壇に初掲載されたのが縁で「心の師」と仰いできた。碑前祭では、大西さんに選ばれた自作2首を披露し「心の師」をしのんだ。
 大西さんは、1924年生まれ。同郷の歌人石川啄木に憧れ短歌を始めた。岩手県立盛岡高等女学校、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)を卒業し、県立釜石高等女学校の教師に。49年に夫と共に旧大宮市に移った。北原白秋の高弟だった木俣修氏に師事し、県立図書館に勤務しながら歌人として活動した。初歌集「まぼろしの椅子」は夫との別離を詠み注目された。82年短歌界最高の賞とされる「迢空(ちょうくう)賞」を受賞。県歌人会副会長を務め、埼玉文化賞を受賞。94年に亡くなるまで作った短歌は1万首を超えるとされる。
 歌碑は、盛岡市で大西さんを顕彰するため同市の文学、文化、地元メディア関係者が実行委員会をつくり、中心市街地を流れる中津川右岸に2009年に建立した。碑には「きららかについばむ鳥の去りしあと長くかかりて水はしづまる」の短歌が刻まれている。実行委メンバーらでつくった「もりおか民子の会」(会長・阿部正樹元IBC岩手放送社長)が、誕生月の5月に碑前祭を開いている。
 当日は、雨の中、大西さんが創刊した歌誌「波濤(はとう)」関係者、盛岡高女の後身の県立盛岡第二高の文芸、音楽部部員など約50人が参加し歌碑に献花した。
 荻野さんは、大西さんに初めて選ばれた「ひな祭り間近にせまり飾る日を炬燵に入りて妻と語らう」(1987年3月10日付埼玉歌壇掲載)など2首を読み上げた。「大西さんの歌碑の前で選んでいただいた歌を披露でき感無量です」と話していた。
 民子の会の川村杳平(ようへい)代表理事(75)は「深谷から荻野さんに来ていただき、碑前祭参加者の幅が広がった。今後も荻野さんのように埼玉で大西さんと関わりのあった人に参加してほしい」と話す。

埼玉新聞 2025-05-25 [Edit / 編集]

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