寂しがり屋の母が作った「たくさんの父」 少年院を出て会いに行くと
母は「寂しがり屋」だったのだろう。
結婚をしたことはないが、何人もの「彼氏」と付き合った。
知っているだけでも、「お父さん」という存在はたくさんいた。その時々で替わっていく「お父さん」の中に1人だけ、「ボス」と呼んで慕った人がいた。
大矢伸之さん。ボクシングを習うことを勧めた。無口で気難しいところはあったが、自分を犠牲にしてでも人に何かを与えるような優しさがあった。
幼稚園の頃から小学4年まで一緒に過ごした後、母とボスは別れた。それでも、1人で会いに行くほど好きだった。
荒れた生活を送るようになったのは、ボスと離れてしばらく経ったころからだ。
暴行、傷害、窃盗――。様々な罪を繰り返した。
母が暮らす家に帰らず、転々とした。あいりん地区の簡易宿に潜り込んだこともあった。
「クズだった」と振り返る、16歳の頃。片手には酒=本人提供 そして、大阪府警と兵庫県警の警官15人に住んでいた家を取り囲まれた。
18歳、奈良少年院に送られた。
「常に誰かをひっかけてやろうと狙っていた。本当にクズでしたね」
2カ月後、面会に来た母が1冊の本を差し入れてくれた。
今も大切にしている辰吉丈一郎さんの自伝「波瀾万丈」=本人提供 「浪速のジョー」として知られたボクサー、元WBC世界バンタム級王者の辰吉丈一郎さんの自伝「波瀾(はらん)万丈」。どんな苦境でも自分を貫いて生きる信念が刻まれていた。
自分の人生を変えよう。そのためにはボクシングしかない。
中学卒業でやめたボクシングを、もう一度したい。その思いで、次の日から、とにかく走った。少年院のマラソンなどはすべて1位になった。
1年半を少年院で過ごした後、最初に訪ねたのは、ボスの家だ。
「少年院は親族じゃないと面会ができない。ボスには会えなかったから、会いたかった」
会いに行ったボスの自宅で嗚咽した だが、訪ねた先には誰もおら…
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大阪:朝日新聞デジタル 2025-06-10 [
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