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「家族の身代わりになった」柿の木 大阪大空襲を生き延びて80年

 母屋も納屋も土蔵も焼け落ちた。庭の柿の木だけが残った。大阪府豊中市上津島の西田稔さん(82)宅には、空襲を生き延びた柿の木が今もあの日と同じ場所に立っている。
 1945年6月15日朝、米軍B29爆撃機444機が府内に来襲した。大阪で4回目となる大空襲。大阪市のほか豊中市にも及んだ。死者は470人以上、うち豊中市で18人が亡くなった。
 西田さんは当時2歳10カ月で、6人きょうだいの末っ子。その朝、空襲警報を聞いた後、母と祖母、兵庫県尼崎市から疎開中のいとこら総勢9人で庭の防空壕(ごう)に飛び込んだ。
 壕の外では焼夷(しょうい)弾が雨のように落ちてくる。あっという間に火の海になった。
 壕のそばに立つ柿の木に、焼…
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大阪:朝日新聞デジタル 2025-06-13 [Edit / 編集]

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