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私語・笑顔禁止だった甲子園出場監督 忘れられぬ主将の「コマネチ」

 「息が詰まるような練習をさせていたと思うんです。やっぱり、楽しくなければだめなんだなと、僕自身が180度変わった」。こう話すのは、青森県の八戸工大一の監督として春夏合わせて甲子園に5度出場した山下繁昌さん(71)だ。
 青森山田、八戸学院光星の2強が君臨する現在の青森県の高校野球だが、1980~90年代に同校を県内屈指の強豪校に育て上げた。指導方針が変わるきっかけには選手たちの「練習ボイコット」があり、甲子園初出場には主将の思わぬ行動があったという。
 兵庫県出身の山下さんは、高校野球の名門として有名な兵庫・報徳学園から、東都大学リーグの強豪・日大に進んだ。高校野球の指導者になりたくて、5年間大学に通って教員免許を取得。高校時代の恩師から八戸工大一が指導者を探していると聞き、1978年に縁もゆかりもない青森県八戸市にやってきた。
 八戸に来たとき、「報徳学園の野球を教えれば、3年で甲子園に行ける」と思った。堅守で機動力を生かす母校の野球と、大学まで野球を続けた自分に自信があった。
 選手たちを前に「俺についてこい。俺が甲子園に連れていってあげるから」と言った。練習では私語はもちろん、笑うことすら禁じた。
主将「僕に1日、時間をください」 厳しい指導とは裏腹に結果は出なかった。「なんで、八戸に来たのだろう」と思う時もあった。そして、就任5年目の82年、秋の大会で負けた後、選手たちをねぎらうこともなく、厳しい言葉を浴びせ、「明日も練習」と告げた。
 翌日、グラウンドに来ていたのは3人だけだった。
 それでも、練習しようとした…
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青森:朝日新聞デジタル 2025-06-20 [Edit / 編集]

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