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強豪の弘前学院聖愛に初の留学生、雪も初めて 日本と台湾の架け橋に

 台湾の離島・澎湖県からこの春、1人の少年が夢を抱いて北東に約2700キロ離れた青森県弘前市の高校にやってきた。2013、21年には甲子園に出場した弘前学院聖愛の野球部では初の留学生となる黄俊文(こうしゅんぶん)さん。遠く親元を離れ、甲子園出場と将来の夢に向かって、走り続ける。
 「自分の挑戦です。そして、異文化を学びたかったんです」。黄さんは日本に留学した理由を、はっきりとした口調で語った。
 小学校4年生で野球を始めた。母親には野球を辞めて、勉強に専念するように何度か促されたという。でも、野球も勉強も頑張りたくて、野球を辞めることはなかった。
 中学1年生の時に野球部の監督から「日本に留学する選択肢もある」と勧められた。その時はピンとこなかったが、日本語の勉強を始めた。
 もともと、日本の高校野球や甲子園の存在は知っていた。そして日本語を学ぶにつれ「日本文化を学びたい。甲子園に行けるように頑張りたい」と、日本への留学を決意した。
 日本留学を支援する業者から、文武両道を掲げ全国高校野球選手権に2度出場している弘前学院聖愛のことを聞き、昨秋に学校を見学。推薦入試はオンライン面接で行い、片言の日本語で思いを伝え、合格を勝ち取った。
 入学のために、3月末に再び同校を訪れたときに初めて雪を見た。温暖な台湾との気候の違いに「やばかったです」と笑う。
 現在は野球部の仲間と寮で暮らす。家族から離れた生活にも「友達がいるから寂しくないです」。食事にも慣れた。
 野球部の原田一範監督は「性格は超素直で超勤勉。成長速度がすごい」と語る。入学当初は日本語をなかなかうまく話せなかったが、今では問題なく会話ができる。1人で役場に行って住民票を取得し、金融機関の口座もつくった。原田監督いわく「中間試験はクラスで7番。もちろん、試験は日本語」という。本人も「日本語は完全に読める」と話す。
 ポジションは二塁手。166センチ、64キロの体は、周りの選手より若干細め。本人は「まだ体力がない」と感じている。
 将来の夢は「日本と台湾の架け橋になるような仕事がしたい」。そのために、日本の大学に進学するつもりだ。だから、野球も勉強もおろそかにできない。原田監督は「彼の生き様は野球部のプラスになる」と、黄さんの文武の活躍を期待している。

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青森:朝日新聞デジタル 2025-06-26 [Edit / 編集]

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