2年前は5連覇で歓喜の輪 主将として臨む今夏「悪い流れ断ち切る」
「2年間の成長」④(最終)近江 大林幸士郎選手(第107回全国高校野球選手権滋賀大会の開幕前連載)
2年前の滋賀大会決勝。近江は8―7で滋賀学園を破り、過去最多となる大会5連覇を果たした。
近江の選手たちはマウンドに集まって歓喜の輪をつくった。当時1年のブルペン捕手・大林幸士郎選手もその輪に加わった。
米原市出身。近江に憧れて、同校に進んだ。さえたリードができることなどを買われ、1年生の夏にベンチ入りした。
チームは山田陽翔選手(西武)が前年に抜けたあと、初めて臨む滋賀大会だった。「この代は甲子園に行けない」と周囲から言われていた。
1年生だったから、滋賀大会のことも他校の強さもよくわかっていなかった。そんな大林選手をよそに、チームは頂点まで駆け上がった。「気づいたら優勝して、甲子園に行けた」と振り返る。
甲子園でも背番号20をつけてベンチに入った。その後、秋の県大会も4年ぶりに制して、昨春の選抜大会に出場。2季連続で聖地にたどり着いた。
だが、そこまでだった。その春からは、滋賀学園が県内の公式戦20連勝中だ。いま、大林選手は「そんなに簡単に甲子園に行けるものではなかった」と痛感している。
2年前の夏、秋は、まだ山田選手の余韻が残っていた。だから甲子園に行くことができた、という見方もあった。
この4月、その山田選手も務めた主将に大林選手がなった。主将を任されるのは少年野球チームのとき以来だった。主将のキャラクターではない、と思っていた。
時を同じくして多賀章仁さん(65)の後を継いだ小森博之監督(41)は、大林選手に主将を任せた理由を「キャッチャーでキャプテンが似合う」などと語った。何を隠そう自身も、近江が夏の甲子園で準優勝した2001年に捕手で主将だった。
近江の主将に求められる役割は大きい。監督が口に出さなくても言いたいことを察知し、自分の言葉で選手に伝えてチームを引っ張らないといけない。
それは監督がいちいち叱っていては、選手が自ら考えず、チームが発展していかない、と考えられているからだ。山田選手はチームの中心になって、理想の主将を体現していたという。
6月中旬の練習。小森監督は、大林選手に「(ほかの選手に)しっかり伝えろ」と何度も言った。小森監督が大林選手に伝えていたことが、ほかの選手に伝わっていなかったからだ。
大林選手は、チームメートに対する立ち振る舞いに悩むこともあるが、だめなところに気づいたら強く言うようにしている。ただ、4月に主将になったばかりだから、小森監督に言われて動く場面がまだ多い。
それでも小森監督は「キャプテンシーが出てきた」という。投手の主将を務める大平貴一朗投手(3年)は「日が経つにつれて、キャプテンとしての頼りがいが少しずつ出てきている」と見ている。
近江は昨年の滋賀大会、昨秋の県大会でコールド負け。今春は決勝まで進んだが、滋賀学園に0―8で大敗した。2年前の夏とは、置かれている状況がまったく違う。
「1年の夏とは比べものにならないくらい、負けられないという気持ちが強い。僕たちの代で、この悪い流れを断ち切りたい」。主将のまなざしで2年ぶりの優勝を誓った。
◇
第107回全国高校野球選手権滋賀大会が7月6日に開幕する。記者は滋賀の高校野球を担当して3年目。2年前の夏に1年生だった選手の「成長」を伝える。
有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。
今すぐ登録(1カ月間無料)ログインする※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
【はじめるなら今】記事読み放題のスタンダードコース1カ月間無料+さらに5カ月間月額200円!詳しくはこちら
滋賀:朝日新聞デジタル 2025-06-29 [
Edit / 編集]