「沖縄県民斯ク戦ヘリ」 大田中将の三男が向き合い続けた戦争と平和
沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ――。80年前の6月、住民に犠牲を強いた沖縄戦で、大田実・海軍少将(死後中将)はそう訴える電文を打ち、自決した。神奈川県鎌倉市在住の落合畯(たおさ)さん(85)は大田中将の三男として、海上自衛官として、戦争と平和に向き合い続けてきた。
落合さんは1939年、横須賀市で11人きょうだいの9番目として生まれた。父親の沖縄赴任に伴い、軍港のある広島県呉市へ。海沿いの一軒家には酒や缶詰があり、若い海兵が頻繁にきて踊ったり歌ったり。父親のひざの上でその様子を見ていた。
45年1月、父親は沖縄方面根拠地隊の司令官となった。4月、米軍が沖縄本島に上陸。戦争は激化し、6月6日に父親は海軍次官宛てに電文を打ち、同13日、司令部壕(ごう)の中で自決した。
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神奈川:朝日新聞デジタル 2025-07-04 [
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