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80年前 新聞記事で土の食べ方を紹介 深刻な食糧難で

 「土を食ひませう」。80年前の太平洋戦争末期、滋賀の地元新聞にこんな記事が載った。戦局の悪化とともに食糧難が深刻になり、土の食べ方まで紹介していた。
 農業の担い手が戦地に送られた戦時中、全国で食糧が不足した。滋賀県史などによると、「近畿の穀倉」と言われた県内は国から食糧の供出を強く求められる一方、県民の米食は制限され、1942年から生活必需品のほとんどが配給物資になった。
 「土を食ひませう 如何(いかが)です? 戦時食生活の徹底版」の見出しの記事が載ったのは、45年8月7日の滋賀新聞(当時)。80日間、土を1日2回食べ、積極的に活動したという農業の広瀬技師に対するインタビューから構成している。
 「土の中に不可視光、不可視熱があるにちがいない。この光熱によって吾人(ごじん)の食物が培われている以上、その土の本質を食することは決して非科学的ではない」とまず主張する。
 「栄養価にとらわれすぎた食生活から離脱」を呼びかけ、「天恵」という効能について「一時体力はおとろえるが体内がおもむろに浄化され、あらゆる毒素がしらずしらず吸着排泄(はいせつ)せられるに至る」「浄血作用を補うことが出来る」「塩のない場合食するならば必ず人命を保つことが出来る」と述べる。
 食べ方も紹介する。土を水に漬け何回も水をかえアクを取る▽布でこし不純物を取る▽煮詰め、天日に干すとパンのようになる▽塩味、醬油(しょうゆ)味、梅酢を落とすとよい……。「はじめは1日1回ぐらいとし、回数を増してゆく。無理をせずに実行すれば3週間くらいで自信がついてくる」と励ましている。
 当時、滋賀新聞は食糧不足を補いたい読者のために、「私の創意工夫」のコーナーなど様々な記事を載せていた。
 「野草 各家庭でどつさり食べませう」という記事が載ったのは戦争終結直前の8月14日。毒性のあるものに注意を促すとともに、栄養価を示して「野菜に優(まさ)る貴重食品」と紹介。「細切れにするか油いために」などと調理の仕方を説明している。
 米不足は深刻だった。県は44年1月、「戦時食生活」という献立表を県民向けにまとめた。
 巻頭に「節米は戦時国策として断固実践せねばならない。苛烈(かれつ)なる決戦の今日、それは飛行機の増産と同じ意味をもつ至上命令といってもよいのである」と訴える。
 小豆麦飯や南瓜(かぼちゃ)飯、大根飯などの混食、すいとんや芋パン、里芋餅などの代用食、雑炊の献立を紹介している。「栄養価の乏しい白米食を断然やめること、そして広がった胃袋を元通りにだんだん縮めてやろう」
 戦後、食糧不足はさらに厳しさを増した。
 当時の考え方について、県内の管理栄養士の女性は「土を食べることは考えたことがない。だが戦時食生活の献立からは、現在の米不足対策、食品ロスを減らす、健康維持につながる工夫が見られる」と話している。

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滋賀:朝日新聞デジタル 2025-08-22 [Edit / 編集]

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