『阪神淡路大震災30年』 市消防長に聞く、当時の活動と防災への決意
30年前の1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が発生した。京都府福知山市消防本部からは発災の翌日から隊員が被災地に向かい、救助活動に尽力した。現在約130人が在籍する同本部内で、現地で活動した経験があるのは、澤田晴彦消防長(58)を含め2人のみ。昨今の救援態勢を確立する契機にもなった震災を振り返り、今後の防災へ懸ける思いを聞いた。
Q…発災から被災地に到着するまでの経緯は。
A…当時は福知山消防署北分署に勤務していて、発災時は受付業務をしていました。翌18日の勤務中に急きょ神戸市への派遣を命じられ、何の心構えもできないまま、先輩隊員5人と一緒に第1陣として午前11時30分に出発しました。被災地に近づくにつれて道路がひどく渋滞し、目的地の灘消防署に到着したのは予定よりも大幅に遅い、午後2時30分ごろでした。
Q…被災地の状況、現地での活動内容は。
A…出発前にテレビで被災状況は目にしていましたが、実際に現地に立つと、「こんなことが起こりうるのか」と大きなショックを受けました。神戸という都市の機能が完全に停止していて、あそこまで建物が崩壊した景色は見たことがなく、今となっても最も強烈な記憶として残っています。
我々は灘区の倒壊したパチンコ店で救助活動を行いました。3階建ての建物内に従業員の寮があり、8人が生き埋めになっているという情報を聞いていましたが、現場はがれきの山。ショベルカーでがれきを掘り、人ではないかと思われれば人力で掘り出す、という作業を何度も繰り返しました。
そこにいる全員が「何とか助け出してあげたい」との一心で夜通し作業を行い、全員を救出しましたが、8人とも既に亡くなられていました。
第1陣は19日午前中に次の隊と交代し、福知山に戻りました。市消防本部としては25日までに第7陣までを派遣し、救助活動を行いました。
両丹日日新聞 2025-01-19 [
Edit / 編集]