安房の酪農に尽力、保里ますの生涯 24日まで南房総で資料展示会
1888(明治21)年に現在の千葉県南房総市大井出身の女性が20歳で渡米した。その後、国際結婚して帰国。安房の酪農に尽力した。地元でもあまり知られていなかった保里(ほり)ます(1868~1948)の生涯を紹介する資料展示会「安房女性烈伝 保里ます」が24日まで同市岩糸のギャラリーMOMOで開かれている。
展示会は「みねおかいきいき館」事務長の芳賀裕さんが調べた資料を基にしている。
大井地区のある嶺岡一帯は江戸幕府直轄の広大な牧場「嶺岡牧(みねおかまき)」があり、日本酪農発祥の地とされる。そこに明治時代に乳牛飼育を指導したジョセフ・デネレーの写真があった。「なぜ米国人が嶺岡に」。調べたら、その妻がますだった。
ますは地域の名家保里家の長女。生まれ育った頃は、嶺岡牧の役割が江戸時代の軍馬育成中心から酪農へと変わる時だった。
保里家にはかつて南北朝の戦いに敗れてこの地に流れ着いた歴史があり、悲願のお家再興の活路を訪米に見いだしたとみられる。
女性が海外へ留学できる時代ではなく、ますの渡米は留学名目ではなかったものの、17年間の滞在中に酪農が盛んな地域を回って積極的に見聞を広めた。
1904年にデネレーと結婚し、翌年帰国した。その後は日米を少なくとも7往復して優良な乳牛の買い付けを続けた。その姿は当時の記事に「体格たくましく、活発な振舞いは……」「女丈夫」などと表現されている。
同時代に日米を往復した女性に、津田塾を創設した津田梅子がいるが、ますも安房地方を拠点に、同様に日米を股にかけた。芳賀さんは「房総半島南端の一庶民の女性がこれだけの活躍をしていた。こうした歴史に地元の人も目を向けてくれれば」と話している。
展示会ではパネルや新聞記事、手紙など約100点で生涯を追っている。公開は正午~午後4時。火~木曜日は休み。22日午後1時半から「調査報告&交流会」を開く。参加費1千円。定員20人。申し込みが必要で問い合わせは芳賀さん(haga@oi.minamiboso.org)へ。
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千葉:朝日新聞デジタル 2025-02-19 [
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