2024年: 40284 PageViews
Wikipedia霜月騒動
霜月騒動(しもつきそうどう)とは、鎌倉時代後期の弘安8年11月17日(1285年12月14日)に鎌倉で起こった鎌倉幕府の政変。8代執権北条時宗の死後、元寇後の論功問題等への対応のため、9代執権北条貞時の外戚で有力御家人・安達泰盛が進めた改革・弘安徳政が行き詰まりを見せると、内管領・平頼綱ら反対派の勢力と対立が激化し、頼綱方の先制攻撃を受けて泰盛は討たれ、その一族郎党も尽く滅ぼされた。騒動はさらに関東、九州を中心に地方へ広がり幕府を二分する大規模な内乱となった。霜月の変、弘安合戦、安達泰盛の乱、秋田城介(あきたじょうのすけ)の乱ともいう。
源頼朝没後に繰り返された北条氏と有力御家人との間の最後の抗争であり、この騒動の結果、幕府創設以来の有力御家人の政治勢力は壊滅し、平頼綱率いる得宗家被官(御内人)勢力の覇権が確立した。